勅使河原氏監督の映画「砂の女」が公開された年に生まれた女 まみろうです。
ケラリーノ・サンドロヴィッチさんと緒川たまきさんのユニット、「ケムリ研究室」第二弾「砂の女」を観てきました。
いや喉が乾きますこれ!観劇後、身体の内も外もすっごいガサガサした感覚になる。
集中するし、緊張するし、圧倒されるし。
劇場から出て真っ先に水をごぶごぶ飲みました。持ってた水を飲み干し、すぐさま買い足して全部飲んだ。
こんなこと初めてだったわ(笑)
あらすじ
中学校の教師、仁木(仲村トオルさん)は昆虫採集が趣味だ。ニワハンミョウという虫を探しに出かけたある日、今にも砂に埋もれそうな部落にたどりつく。
村人に「もう終バスはない」と聞いた彼は勧められるがままに、部落の一軒に泊まることにした。その民家は深い穴の底にあり、寡婦(緒川たまきさん)がひとりで住んでいた。
女との会話はなんとなくかみ合わず、男は翌朝早々に旅立とうと考える。しかし家を出てみると、地上に出るための縄梯子は外されていた。
穴から砂を掻き出さなければ村は崩れてしまうため、村では砂掻きのための人手を欲していたのだ。
穴の底の家に閉じ込められてしまった男は、女と共に砂を掻き出す生活に取り込まれてしまう。
はじめは女と深い仲になるまいとしていた男だが、やがて関係を持つようになる。
しかし男は脱出を諦めたわけではなかった。砂掻きで疲れた女を焼酎で眠らせ、やっとのことで地上に出る。
ところが村には底なし沼のような砂地もあり、男はそこへはまってしまった。追ってきた村人に救出され再び女の家に戻されてしまう。
男は女と共に砂の底の家に残り、夫婦のように暮らす。
ある日、女は妊娠し、それが子宮外妊娠だとわかる。村人たちに急ぎ病院へと連れて行かれる女。
残された男がふと見ると、地上に出るための縄梯子がそのまま残されていた。
しかし男は脱走しようとはせず、女が無事に戻ってくるのを待つのだった。
安部公房は中学生から高校生の頃に、何冊か読みました。当時の感想はたぶん「へんてこりんな話」くらいのもんだったと思うw
(ちなみに、いちばん好きなのは「他人の顔」よ
とにかく説明不能で不条理なおはなし、という印象だったけど、今回舞台を観るとそんなことなくて、理路整然とした秩序を感じた。物語に。
「安部公房は理系」というのを10代のまみろうは知りませんでしたが、今考えると納得。
舞台を見てそう感じたってことは、もちろんケラさんの表現手腕によるところが大きいのでしょう。
きっと悪夢を見てるような後味になるに違いない・・・と思ってたのに、不思議に爽快感さえ感じたし。
いやすごかったです!
緒川たまきさんバンザイ
音楽も照明も映像もイイ。しかしなんと言っても
「たまきさん!たまきさんバンザイ!!」
なのですよ~もうね、本当にすごい。大好き!
「キネマと恋人」とか「ベイジルタウンの女神」でも見せた可愛らしさもありつつ、ものすごい執着・執念と怖さを感じさせる部分もあり。
男に家を壊されそうになって「私の家だ!!!」と叫んだり、終盤、「知りませんよ、よその人のことなんか」と吐き捨てる凄み。
妖艶な美女というわけでもなく普通の女なんだろうなぁ、と感じる造型で(いやたまきさんが演ってるから結局美女なんですけど)。
知能が足りないようでいて、時々すべて分かってるようにも見える、つかみどころのなさ。
外の世界に憧れてるのに出て行こうとはしない諦念と、自分の場所への執着がすごい。
不可解で、御しやすそうに見えて全然手に負えない「女」。
たまきさんの、ちょっと現実味がないファニーな感じもハマってました!残酷な無邪気さをまとった少女のようなね。
小説や映画の「女」は妖婦っぽいイメージだったんで、ちょっと意外でもありました。
本当に素晴らしかったです。
そして「男」の仲村トオルさん。インテリでちょっと嫌味な「男」がすっごい良かった!
知識や職業的なヒエラルキーにおいて、自分より下位と感じる人には優しい都会の男。ヤなやつw
村人を理屈で説得しようと試みるも全然相手にされなかったり、海が見たいとお願いしたら
「女と性交するとこを見せろ」
と言われて女に「どうする?」って聞いてみたり。どうする?じゃねーよw
諦めてそうで諦めてない、なんか企んでる感じがずっと漂ってるのも良き。
イヤな感じの男なんだけど、トオルさん自身のおおらかな印象もあり、憎らしくはないのよね。しまいにはなんだか可愛く見えてくるし。
あと、全く望んでいない展開になって焦りやイラつきを感じてたはずの男が、少しずつ女との暮らしに慣れて、しまいには「手放したくないもの」に変わってしまう、その心情の変化がとても自然でした。
急に居なくなった俺を、絶対みんな探してるはずだ!って何度も言うんだけど、ぜんぜん探されてないw
その状況が寸劇ぽく挟み込まれるのですが、コントみたいで笑っちゃいつつ、リアルさを感じて冷や汗が出ます。
そういや、お互いを名前で呼ばないのよね。トオルさん演じる「男」は最後までたまきさん演じる「女」に「お客さん」って呼ばれてる。
この2人の関係性がなんともまぁ不可思議で、特に色っぽくは作ってないと思うんだけど官能的。あ、全裸とか緊縛とかあるけど。
色っぽいといえば、たまきさんの浴衣姿の見事な柳腰。なにあのライン。
あと、極限まで喉が渇いて「水!!」って縛られたままやかんに吸い付くとこね。
あれはヤバい。けしからんエロさでした・・・!
村人たちや「男」失踪後の彼がいた社会の人々、黒子的な役割は廣川三憲さん・オクイシュージさん・武谷公雄さん・吉増裕士さんと4人の役者さんたちが。
たまに挟まれるシュール寸劇がたまらなく面白いです。良い妙味w
しかし着替えやら舞台装置の転換やら、本当に忙しかったと思う~
観ながらわかってたはずなのにカーテンコールで全員並んだ時
「え?!全部で6人しかいない??」
って改めてビックリ。
役者さんは全部で6人ですが、「男」の行動を表現するのに人形も使われてました。操るのは村人たちでもある4人で、男が主体性を失って操られているって意味にも取れそうだなーと思った。
ドロドロしい話なのにカッサカサに乾いてる
もしかしてセットに大量の砂が敷き詰められてたりするのかなーと思ってましたが、そんなことはなかった。
ほんの一部で、少し使われていただけ。ほとんどが布とマッピング、そして音で表現されてまして、これがまぁ本当に効果的で!
特に音ね。女が砂を掻く、ジャクッという音を聞いてると、なんだか足下が砂まみれのような気がしてくる。
劇場は冷房が効いてて乾燥してるくらいなのに、湿気と熱気を感じて肌に砂がまとわりついたような感覚に。
そんな感覚になるのに、お話は淡々と進んでいく。物語はむしろ、カサカサに乾いてる感じなのが不思議で面白かった。
音楽も多国籍な印象で、特にボイスエフェクトというのでしょうか?歌声での表現が作品世界に馴染んですっごい良かった。
私は今回、前方席だったので、セットの高い場所にいらした上野洋子さんにしばらく気づきませんでしたが、後方席だとそちらもよく見えるかも。
「砂」は現代日本人のようだ
芝居を観ていてもやもやと胸に拡がったのが、砂ってまるで現代日本人の集合体みたいだな・・・という思い。
「砂」って生命を感じないじゃないですか。たとえば虫ならどんなに小さくても、そこに「生命」を感じるけど、砂にはそれがない。とことん無機質なもの。
大きさもだいたい揃っていて、それぞれの意思などなく、ひとかたまりになってる。
でもいったん強い風が吹いたり、水が流れてきたりするとそれに押されて形を変えて、あらゆるものを覆い隠したり押しつぶしたり。
砂のひとつぶひとつぶに強い意図があるわけでなく、押されたから流れていくだけなんだけど、結果的にすごい圧で何かを破壊することも。
そして水を含むと強く結合して固まる。水にあたるものは宗教・教育・価値観などでしょうか。
固まってしまうとちょっとやそっとじゃ崩せない。そのくせ、もっと強い水流を浴びるとあっという間に足下から崩れちゃう。
その砂をただ繰り返し掻くために労働力を欲し、得るためにだまし討ちみたいな真似をする村人たちは、現代日本なら何にあたるでしょうかね。
そんな思考がもやもやと拡がる観劇体験でした。
そういえば、この作品ってどうして「砂の村の女」とか「砂地の女」でなく、「砂の女」なんでしょね。
語呂の良さとかインパクトはもちろんあるんでしょうけど・・・なんとなく、女自体が砂で作られているような印象が残ります。
砂の女はもう、チケットは買えないのかな?
開幕して評判が良くても、座席数の制限でチケットが売れない、なんて状態は早く終わりになるといいですよね~
DVDの発売も決まってるようですし、放映もあるかもしれませんが、これは劇場で体験できて本当に良かった!
あ、全然関係ない話ですが、映画版「砂の女」を演じられた岸田今日子さんは、「悪党」って映画がすげーいいので機会があればご覧ください。
ラストの乙羽信子さんも めっちゃ怖くてイイですw
***** 追記 *****
オンデマンド配信が決まりました~!
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