井上芳雄さん主演の「組曲虐殺」を観てきました。
劇場は天王洲銀河劇場
銀河劇場すっごい久しぶりで、いったいいつぶりだろう?と手帳を見返したら、2016年に「マーダー・バラッド」を観て以来でした。
実に3年ぶりというねw
さて、「組曲虐殺」ですが今回の上演は再再演。私は初めて観ましたが、これがまぁ「藪原検校」以来の衝撃でございました。
開演前のステージはぽっかりと、家の土台部分みたいなセットと何本かの柱のような金属だけ。
音楽劇なのでピアノ伴奏があるはずだけど、ピアノが見あたらないよ?と思ったら、舞台後方の高いところにありました。
劇中、ピアノにスポットが当たったり、逆に全く暗くなって見えなくなったり。
それもまた、演出効果のひとつだったみたいです。
※余談ですが、銀河劇場とピアノ、とくれば「スリル・ミー」を思い出すのは私だけではないと信じてます ←
「組曲虐殺」のあらすじ
ときは昭和5年の5月下旬から、昭和8年2月下旬までの、2年9ヶ月。幼い頃から、貧しい人々が苦しむ姿を見てきた小林多喜二(井上芳雄)は、言葉の力で社会を変えようと発起し、プロレタリア文学の旗手となる。
だが、そんな多喜二は特高警察に目をつけられ、「蟹工船」をはじめ彼の作品はひどい検閲を受けるだけでなく、治安維持法違反で逮捕されるなど、追い詰められていく。
そんな多喜二を心配し、姉の佐藤チマ(高畑淳子)や恋人の田口瀧子(上白石萌音)はことあるごとに、時には変装をしてまで、彼を訪ねていく。
瀧子は、活動に没頭する多喜二との関係が進展しないことがもどかしく、また彼の同志で身の回りの世話をしている伊藤ふじ子(神野三鈴)の存在に、複雑な思いを抱いている。言論統制が激化するなか、潜伏先を変えながら執筆を続ける多喜二に対し、刑事の古橋鉄雄(山本龍二)や山本正(土屋佑壱)は、彼の人柄に共感しながらも職務を全うしようと手を尽くす。
命を脅かされる状況の中でも、多喜二の信念は決して揺るがず、彼を取り巻く人たちは、明るく力強く生きていた。
そしてついにその日は訪れる…。
小林多喜二の「蟹工船」は、小学生の頃かな?読んだ。でもね、あまり強く覚えていないw
たぶんね、好みの話じゃなかったのね。今、だいたいのあらすじを読んでも、
「あーこれは当時の私には響かないわ」
って思う。
当時の私は虐待こそされなかったけど、貧困ド底辺にいて、好きなお話は非現実的なものが多かったのよね。
↓ここへ書いたかな
持てるものが持たないものをどんな風に扱うかも、底辺の人がどんな風に、自分よりもっと下にいる人を見つけて踏みつけにするかも、身をもって知ってたんで。
蟹工船の世界は、わざわざ教えてもらわなくても知ってるよって思ったんだろうね、当時は(゚∀゚)
実際にはまったく分かってなかったわけですけど。
誰ひとり足を引っ張ってない、浮いてない、完璧な座組
役者さんたちがもう、とにかく凄い・・・高畑淳子さんと神野三鈴さんの芝居なんて、もうずーっと観てられる。
ふたりともうんと笑わせてくれて、締めるところはギュッと締める。本当にカッコイイ!
高畑淳子さん演じるチマ姉さんの、まぁ懐の深いこと優しいこと。
井上芳雄さん演じる多喜二の活動を助け、時には意見し、その志を貫く難しさを
「ゆるぐねぇなぁ」
と嘆く。その姿にめっちゃ泣かされます。
上白石萌音ちゃんは姿も歌声も透明で、貧しさのため苦界に身を沈めていたのに無垢、でもたくましい瀧子がハマってました。
救い上げられて、でも多喜二と寄り添っては生きられない。
その切なさが萌音ちゃんの容姿と相まって、もうオバちゃんは本当に抱きしめてあげたい感じですよ!
山本龍二さん・土屋佑壱さんは多喜二を捕まえる気があるのか無いのかよく分からない特高刑事。
特高ってことでとにかくイヤな感じなのに、めちゃめちゃオカシイし可愛らしいw
特に山本さんね、こういうイヤーな役がとても上手くて、どうかするとキライになりそうなくらい。
いや、いい役者さんですから嫌いになりませんけども(笑)
このふたりの特高刑事のあり方も、しみじみと考えさせられるところ。
自分自身の信念や判断でなく、指示に従い盲目的に任務を遂行する。
でも内実、多喜二に多額の懸賞金がかかっていた時は必死に追うのに、懸賞金が取り消しになるとあまり身が入らない姿には、なんとなく
「いるいる、こういう人。っていうか、あるある。こういうこと。」
って思ってしまう。
それにね、他国の言論統制やインターネット検閲について、批判的かつ進歩的なつもりでいるけど、実は日本も同じじゃない?もっと密やかに、巧妙に、そしてスマートに行われてない?
気づかないうちに、思考停止になるように仕向けられてない?
と考えてしまうのよね。
「口に出してはいけない」
「表現してはいけない」
たしかに軽々しく口にしてはいけないことや、おもしろおかしく誇張して表現することで傷つく人がいることもある。
でも盲目的に、「ダメっていうから」「怒る人がいて面倒くさいから」って黙り込んでいいのか、って思う。
労働者は常に搾取されている、持てる者はずっと持つ立場にあり、持たない者はずっと持てないでいるまま。
だけど「知らない」ことが何よりも不幸の始まりだし、知ろうとしないまま生きて、気づけば選択できないところに立たされている、それが何よりも問題だよね。
力んでないのにすさまじい。井上芳雄さんに圧倒される
私はミュージカルでの井上芳雄さんも好きですが、今回この演目を観て、あらためて
「『役者』の井上芳雄が好きなんだわ私」
と再認識しましたわ。思い返してみたら、最初に芳雄さんを好きだなぁと思ったのは「正しい教室」だった。そう、ストレートプレイ演目だったのです
音楽劇なので歌うんですが、ミュージカルで歌うのとは全く違う歌唱。台詞なんですよ、歌ってるけど。
ってこれ伝わるだろうか?ミュージカルだって歌が台詞じゃん、って思うよね(笑)
でも違うの。ミュージカルで歌ってるのとは明らかに違う。テクニカルなことも違うんだろうけど、歌に感じる手触りが違うというか。ううん表現できないぞ(゚∀゚)
何曲も歌うけど、特に「独房からのラブソング」がもの凄くて!
聴かせてやろうという力みがまったく感じられないし、曲もしんみりしてる。
でもその歌う姿がすさまじい。
苦しんでいる人たちを救いたい、でも何もできない。自分は役立たずだ・・・!と歌う多喜二に、
「どうしてそんなに、貴方がやらねばならないの?」
と思ってしまう。
別の場面で
「後につづくものを信じて走れ」
と歌うのにも胸を突かれて、まぁ苦しいったらない。
でも本当に苦しいのは、前半に広げに広げた風呂敷が、シュッと収束するラストなのよ。
拷問を受けて死ぬ多喜二の姿は見せず、死に体(てい)も見せない。
遠くから声だけが聞こえ、タキちゃんとチマ姉さんが小樽に帰っていく、そこへ格下げになった特高刑事ふたりがくる。
刑事ふたりの、立場や意志も違えながらも多喜二を悼むことばに、めちゃくちゃやられて泣きました。
多喜二を追い詰める立場にあった特高だって、思考停止に陥らされてて、結局のところは搾取され続ける労働者と同じ。
遠い昔の、現在とは全く関係の無い話じゃなく、やんわりゆるやかに、今も同じ事が起きていますよ、と告げられたようで、身震いしながら帰ってきました。
東京公演は終わったばかりで、これから福岡・大阪・松本・富山・名古屋と公演は続きます。
場所によってはまだチケットも買えるみたい。
ぜひぜひ、観て欲しいと思います!
劇場に行くのは叶わないという方は、2009年版のDVDが出てますんで是非~!
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