舞台「カリギュラ」を観てきました

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菅田将暉くん主演、栗山民也さん演出の舞台「カリギュラ」を観てきました。

不条理と反抗、理解と拒否がせめぎあう3時間弱でした

いやーーーー難解。見応えあった!

菅田将暉くん凄いね。急激に芝居がうまくなったのもだけど、体現力がすごい。

優しげで悲しげな容貌なのに、どこか暴力の匂いがする。

菅田くんにカリギュラを演らせようと思いついた方が素晴らしいです。栗山さんみたいですけど。

 

カリギュラは実在したローマ皇帝で、戯曲の内容と史実が一致している部分もあるそうな。

たとえば

  • 当初は善良・温厚だったのにある時期を境に暴君と化した
  • 実の妹を愛人にしていた
  • セゾニアという年上の寵姫がいた
  • ヴィーナスの扮装をして貴族達に礼拝させていた
  • ケレアを中心とした叛徒に襲われ絶命した
  • 絶命の際「俺はまだ生きている」と言った

このへんは史実どおりなんですって。

 

とにかく、何がどうなって、次に何が起きるのか考えることを拒絶される感じで、観ていて混乱するしモヤモヤもする。

「不可能なものが欲しい」

とは、死を超越したいってこと?

死んだ妹は戻ってこないし、死なない未来が自分にないこともわかってる。

それでも欲しがるのか・・・いやそもそも、欲しいって手に入れたいって意味なのか?

台詞のやり取りを聞いていても、尋ねられたことにまっすぐ答えることが少なく、比喩暗喩が続くのでとても疲れました。

でもね、私この「わからない」感じ好きなのです。お芝居好きな人には多いんじゃないかな。

100%はわからない。でもその中にじわっと、

「あれっ今のって・・・」

って何かが頭の中で繋がりそうになる感じ。

すっごく運が良ければ、時間が経ってからパシーンと繋がって、

「そうか!そういうことだった!!」

って分かる、こともある(笑)

そういうのがとても好きです。

 

カリギュラのあらすじ

ローマ帝国の若き皇帝カリギュラ(菅田将暉)は、愛し合った妹が急死した日に宮殿から姿を消し、その3日後に戻ってきた。

その日を境にそれまで非の打ち所のなかった皇帝は豹変し、貴族平民問わず、何らかの財産を持つものを区別なく殺しその財産を没収する、という驚くべき宣言を出す。

しかし、それはほんの序章でしかなかった。

それから3年後、カリギュラは、彼を深く愛している年上の女性セゾニア(秋山菜津子)、忠臣のエリコン(谷田 歩)を従い、残虐非道な行為の数々を繰り広げていた。

やがて貴族たちの怒りと怖れはカリギュラを殺害することへと向かっていき、カリギュラに父を殺された若き詩人シピオン(高杉真宙)も、彼を殺したいほど憎んでいる。

だが、カリギュラの思想の危険さをいち早く感じていたケレア(橋本 淳)だけは、今は時期尚早だと“その時”が来るの待つように貴族たちを諌めるのだった。

カリギュラは自らの命の危険を知ってもなお、止まることなく、さらに暴走を続ける。

彼は革命をもたらす王か、それともただの殺人者か。カリギュラが探し求めた「不可能なもの」とは…?

引用元:https://caligula.jp/story/

 

暴力って何か。それは「他人を意のままにしようと圧すること」だと思うのよ。

そう考えると、カリギュラのやってることって暴力とはちょっと、違う気がする。

カリギュラがやってることは拷問や陵辱など、直接的な暴力に感じるものもあるけど、そうでないものも多い。

そして暴虐を尽くすカリギュラは全然楽しそうじゃないし、満たされてもいない。

劇中の台詞にもある、「魂が多すぎる」ために傷つき、流血して生きている。

最愛の妹を亡くしたことからたどり着く、

「人は必ず死ぬ。だとしたら幸福にはなり得ない」

という真理を、皇帝という立場を使って試し続ける話だと思いました。

 

「死」という切っ先を常にかかげている皇帝

冒頭、どうやら近親相姦の関係にあったらしい妹を亡くし、若い皇帝は姿をくらましていることがわかる。

その状況を説明しつつ、家臣のひとりが

「私も妻を亡くし悲しんだ、でも忘れるのです」

みたいなことを言う。それって、普通の人がふつうにしていることよね。

哀しみや苦しみを忘れて、諦めて生きていく

そりゃそうだ、いつまでも瑞々しい気持ちで悲しんでいたら生きていけないもの。

でもカリギュラは妹の死をきっかけに、「人はいずれ死ぬ。だから幸福ではない」という結論に達し、それをずっと忘れない。忘れないことを体現しようとする。

自身の好き嫌いとは別の次元で、無作為に選び人を拷問し殺す。

それがたとえ、かつての親友の父親であっても。

いわば、

「死はどこにいても、どんな瞬間でも訪れ得る。だから今この瞬間に生きている自分もお前も、絶対的に幸福にはなり得ない」

という真実をいつもいつも、突きつけるために。

なんでそうなる?と思うけど、この合点がいかないところが「不条理」ってやつなのよね~。

そこをなんとか頭で理解しようとするからモヤモヤするし、不安な気持ちになる(笑)

理性では割り切れない事がこの世にはあって、それを理性で理解しようとするところに「不条理」が生まれる。

どんなにわけの分からないことでも、対峙するとなんとか道筋をつけて理解しようとするのが、私たちなんだなぁとしみじみ思ったわ。

 

菅田くん・高杉くんを取り囲む、技巧者ぞろいのキャスト

こういう難解なお話を、お粗末な芝居で見せられたらさぞかし苦痛だと思いますw

その点、全く心配なく観ていられます!

菅田将暉くん、高杉真宙くんという若いふたりを囲むキャストの皆さんも、本当に素晴らしくてですね。

菅田将暉くんは前述の通り、得体の知れない暴力性がその芯にありそうで、こういうのも存在感っていうのかな。

あんな細っこいのにね。迫力あるし、言葉のひとつひとつがヒリヒリする。

高杉くんは繊細で清潔な詩人がピッタリでした。

台詞はちょっと弱かったけど、カリギュラが発する狂気と憐憫のエネルギーを受けて、憎み苦しみながら受け入れる一瞬が清らかで泣けました。

そして秋山奈津子さん・・・

そもそも、カリギュラを観たいと思ったのが わたくしの大好きな秋山奈津子さんと橋本淳くんが出てるからなんですけども。

もうこの2人は言うまでもなく良かったわ。奈津子さま大好きです。迫力でした。

最後の最後までカリギュラに休息と安らぎを、と望み、破滅へ進むセゾニアは気高く美しかったです。

橋本あっちゃん、問題点を明瞭に、冷たく、しかし救いへの希望を捨てず皇帝に告げるケレアすごく良かった。

解放奴隷エリコン役の谷田歩さんも!良かった~!声が良くてほれぼれ。

元奴隷という野卑さと、死んでもカリギュラを守り理解し続けるという真摯さが胸を打ちました。

コロスの皆さんは、私には馴染みのない方が多かったんですが、皆さんこちらの気持ちをずっと逸らさず、興味を引きつづけてくれました。

とぼけた味わいがあったり、苦悩がビシビシと伝わってきたり。

楽しい話じゃないのにずっと観ていられるのは、役者さん達の技量があってのことだと思います。

 

この極端な話を、今上演する意味

先日来、「この演目を“今このとき”に上演する意味」について考える作品を観ているなと感じています。

平均的であることが正義で、何かを口に出すとどこからともなく叩く人がわいて出て、みんながみんな魂のない容れ物みたいに生きろ、って言われてるみたい。

感情の起伏を最低限に抑え、意味のあることは考えず。ただ充分な栄養を摂ってなんとなく健康な感じで生きてる、でも本当に生命を謳歌してる?

カリギュラのような怪物に遭遇したくはないけど、こんな時代だからこそ上演される意味があるのかもね。

 

ところで私、お芝居を観た後、原作が読めるものは電子版で買って読んだりするんですけど・・・

カリギュラに限っては、理解を深めようと戯曲を読むのはお勧めできない。

台詞が膨大で難解、かつ長いので、十中八九苦しむと思います。私は苦しみました(笑)

 アメリカ映画版は別ものです

カリギュラといえば、私の年代にはマルカム・マクダウェル主演の映画が思い出されます。

公開当時、超豪華俳優陣と46億円(!)という巨額の制作費で話題だったのよ。

でも内容はハッキリ言って「イロモノ」扱いの暴力ポルノ。

なので、

「本を読むのはおっくうだし、そうだ、映画を観てみよう♪」

などと考えて手を出すと、酷い目に遭うので注意が必要ですわよ。
(いや、ひょっとしたら好みかもしれないけどさw

個人的には未だにBlu-rayが販売されていることに驚く・・・

ってなぜ内容を知ってるのか。それはむかーし、つき合ってた人と観たから。

ちなみにその彼はこの映画を「面白かった」と言ったので別れました

WOWOWで放映されます!

まだまだ劇場で上演が続く「カリギュラ」ですが、WOWOWでの放映が決定しています

2020年3月とかなり先ですが。

劇場で観られるなら絶対に行った方がいいと思いますけど、どうしても足を運ぶのがムリなら、こちらを楽しみに待ちましょう♪

 

観劇マナーについては、劇場側の周知拡大に期待したいと思う

あとね、余談ですけど。

カリギュラの観劇マナーについて、SNSを見てると、かなり「悪い」って話が聞こえてくるんですけどね。

私が観に行った時は、そこまで酷いことはありませんでした。

寝ちゃってるお嬢さんは何人か見かけたけどね(笑)

たまたま、私の席まわりにはマナー違反な人はいなかった、ってだけかもしれない。

同じ回を観てても「酷かったわよ!」って人もいたのかも知れませんけど。

たしかに、観劇慣れしていなさそうな方はたくさん見かけたし、開演前にバシバシ劇場内で写真を撮ってる人もいた。

でも上演中にスマホを鳴らしたり光らせたり、飲食したり、おしゃべりしてるなんて人はいなかったです。

なんだか「どの回にも必ず酷いのがいて、絶対に嫌な気持ちになる」みたいに感じられる書き込みが多くて、作品も演者さんも素晴らしいのに、そんなことでケチがつくのは残念だなと思っちゃって。

私は酷いマナーの人には遭遇しませんでした。と、言いたかった。

 

映像で活躍してる人が舞台に出演すると、ふだん劇場に足を運ばない人もたくさん行くじゃないですか。

こんなこと書いてる私だって、「初めて劇場に行った日」ってのはあったわけで。

好きな俳優さんと同じ空間にいられる、なんてことが初めて!って時は、舞い上がるじゃない。

だから劇場内の細かい掲示なんて見てないし、アナウンスだって上の空で聞いてるから、やっちゃダメな行為が分かってない、ってこともあると思うのよね。

言われても守らない人ってのも一定数いるけどね。

撮影禁止、って掲示されてる看板ごと写真を撮って、SNSにアップしちゃってるのも見たことあるし(笑)

でも、マナー違反をやっちゃってる人のすべてが、そういう「言われても聞かない人」だとは思わない。

なので、これに関しては、もう劇場側の周知徹底に期待するしかないなと思うのです。

映画館みたいに、開演前に緞帳に映像で映し出して、説明するとかさ。

個人的には劇場に入った瞬間から、その世界観に浸りたい方なので、それをやられると気分が削がれるとは思うんだけど。

背に腹は代えられないというか。上演中にぶち壊されるよりはマシなので。

だからマナーについては、大きな劇場ならある程度、周知する方法を考えて欲しいなって思います。

もちろん、個々で前もって調べたりさ。そういうのができるのが理想なんだけど、知る機会がなかったことを、

「そんなことも知らないで!」

って責めてても、解決しないかなって思うの。

って最後はカリギュラと直接関係なくなっちゃったw

良いお芝居でした!

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