今年(2017年)3月に大阪で、5月に東京で公演されたこの演目。
私が大阪まで行って観たのは、お察しの通り、私の愛する小西遼生さんが出演されたからです。
遼生さんの朗読劇は観たことがなかったし、楽しみに行ったのよね。
んで、期待通り楽しんで帰ってこれましたが、感想を書いてないなーと思ってるうちに東京でも公演が。
2人芝居なんですが演じるペアもどんどん増え、しかし時間には限りがあるし遼生さんが出るならそこが優先だし!つって結局、遼生さん出演回しか観てなかったんですね。
で、今回、東京銀座の博品館劇場で、多彩なペアでの公演があるというので別の方々のペアをやっとこ観た。そしてしみじみ、演目の面白さを感じてきたというわけです。
シスターの詳しいあらすじは、原作者であり演出をされている、スズカツさんこと鈴木勝秀さんのHPで。→>>suzukatz-cloud
※元々の脚本だった「シスターズ」の脚本がアップされております。Dropboxが開きます。Dropboxが入っていないPC、スマホで開くとどうなるのかは、私は知らないので各自お調べくださいまし(不親切
すごく端折ってネタバレありの説明をしますと、
3歳で事故死した姉と、両親にも死なれ孤独な弟が、とある一室で益体も無い話をしている。
弟は詩人だが売れてはおらず、社会生活もうまく行っていない様子。
弟の昨夜から今朝にかけての食事や行動について、姉は話すよう水を向ける。
特に構えもせず話す弟だが、姉が真に聞きたいことはほかにあるらしい。
だんだん核心に近づく姉の質問に、弟は今自分が死にかけている事に気づく。
これまで孤独だった弟は、禁煙をキッカケに知り合った女医と恋愛関係になっていた。
今度こそ幸せになれそうだ…と感じた途端、急激に不安に襲われ自殺しようと睡眠薬を大量に飲んだ。
まだ助かるとも死ぬとも決まっていない状態の弟に、姉はやんわりと、生きて欲しいと言う。
弟はありがとう、あんたが姉さんでよかった。と返した。
というお話。
私が観たのは
- 貴城けいさん小西遼生さんペア
- 朝海ひかるさん小西遼生さんペア
- 彩吹真央さん橋本淳さんペア
- 渡辺えりさん池田成志さんペア
- 中嶋朋子さん平野良さんペア
でした。
どのペアも良かったんですけど、一番好きだったのは、遼生さんと朝海ひかるさんの組み合わせかな~。
天の声みたいな現実感のないお姉さんと、自己肯定感の低いナイーブな弟でね(笑)大好きでした。
貴城けいさんの「姉」はキリッとした男前のカッコいいお姉さん。
高圧的でもあるけど、弟の世話を焼かなきゃと思ってるぽい、いちばん「姉ちゃんらしい姉ちゃん」だと思いました。
私も姉さんだけど、弟妹にあんな感じだもん。カッコいい男前の部分は違うけど(笑)
彩吹真央さんの「姉」は なーんとなくキャピキャピ感のある、甘え上手なお姉さんだった。
「弟」の橋本淳さんがダウナーな、いかにも今どきの若者な弟で、そのコントラストが良かったなぁ。
渡辺えりさん池田成志さんペアはね、もうさすがとしか言いようがない。
でも渡辺えりさんが、私のシスター観劇史上最高に落ち着きのないお姉さんで、最初はどうしようかと(笑)
前のめりで豪快、エネルギッシュで言葉が力強い「姉」は、死んでるってのに なにその生命力。って感じでさ。
デキャンタからグラスに水を注ぐのも、だばだばだばーーつってもう、いちいちなんていうか、雑。
でもそれがね、すごいリアルに感じたというか・・・成志さんのちょっと枯れかかった生命力がない「弟」との対比で、あーいるわこういうおばさんおじさんの姉弟。
って笑いながら観てるうちに、核心に近づくとグッとトーンが落ちて苦しいったらない。
孤独な詩人である弟は、これまで誰にも期待されず、求められず生きてきたんだと思うの。
両親ももう、亡くなってるし。
それでいい、仕方ないと思いながら生きていたところへ、女医という(弟にとって)ハイスペックな女性と恋に落ち、幸せになれそうと期待を感じた。
んだけど、彼は自分のことも、人から注がれる愛も、未来への明るい展望も、信じられなかった。
これ以上の幸福は自分には決して起きない、女医とはいずれ破局し、一度愛を知った自分はこれまで以上に孤独になるだろう─────
ここが最高点、「ここで死んだ方が絶対にいいんだ」という自己評価の低さ。
・・・現実にいたら殴ってやりたいね、こんな男は。
どの弟を観てもそう感じるんだけど、成志さんの弟はいちばん冷静沈着、頭の良い大人と感じたので、余計にそう感じたわー。そして腹立つ(笑)
中嶋朋子さんと平野良さんの姉弟は、服装の印象だけど、出てきた時ヘンゼルとグレーテルみたいだった・・・のに、読み始めたらとても現代的で現実的だったんで、ちょっと驚き(笑)
ラリーが速く、言葉の抑揚も、なんていうか起伏が激しい。
劇中で唐突に、「欲望という名の電車」のセリフの応酬が始まるところがあるのね。
それぞれ、ペアごとに表現が違って面白かったとこなんだけど、中嶋さん平野さんペアは、「ヘタ」なの。
素人が、しかも姉弟でお芝居の練習をする恥ずかしさっていうか、恥ずかしさを覆い隠そうとしてわざと大仰にする感じ?そういう表現は初めてだったんで「あっ」て思った。
あれがあったことで、その後のやりとりがより自然に感じたし。
劇中のやりとりから、3歳で死んだ姉が弟の前に現れるようになったのは、弟が小学生の頃だったらしいと見当がつく。
そして姉の「本当に孤独にならないと、私たちとは会えない」というセリフから、弟は小さい頃から孤独だったことも。
さらに、ラスト近く核心に近づいた時に、「あんた(姉)が来た」「来た・・・の?」というやり取りがあるのね。
そこでふと、死んだ姉が弟に会いに来ているわけではなく、弟の中に死に対しての憧れがあって、だから死んでる姉と交信したのかもしれない、と思った。
つまり、弟の精神は死に近づいているというか、吸い寄せられがちで、それを食い止めていたのが姉だったのかなって。
そしてその姉は、弟にとっては現実に「いる」。でも実態は、葛藤するふたりの弟なのかも、とも思った。
弟の自己肯定感のなさ、自己評価の低さを、姉という形をしたもうひとりの弟が、諭したりいなしたり、叱咤激励したり。
姉がいう、
「どんな人にも、あんたにとっての私みたいな存在がいて、ひとりになるとその人たちと話してる」
それって、自分の内なる声ってことだよね。
死んじゃった方がいい、と思う自分と、自分は生を投げ出すべき価値のない人間ではない、と考える自分。
それが姉との会話という形で、弟の中で繰り広げられていたのかな。たぶん、今回の出来事についてだけでなく、もうずっと昔から。
姉さんは「もちろん(また会える)」と言ったけど、弟くんが現実の世界に戻ったあと、姉とまた会えるのかしら。
個人的には、愛してくれた人と暮らして、姉さんの存在を感じられなくなるといいなと思う。死に吸い寄せられることなく、生の世界で泣くことも笑うことも実感して過ごしてほしいなと思います。
こういう、揺らぐ感覚になるお芝居って好きだなぁ。良いお芝居でした。
違う役者さんペアで上演されたら、また観に行くと思います。
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