新宿の紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAで2016年9月24日まで公演されていた、ミュージカル「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」を観てきました。
韓国発ミュージカルらしく抒情的かつ激しい曲が多く、プロジェクトマッピングがすごいと評判だったこの作品。
キャストが数パターンありまして、どの方のも観たかったのですが・・・
この時期、私の愛する小西遼生さんの公演とカブっておりまして(汗)
熟考の結果、橋本さとしさんと岸祐二さんの回を観ることにしました。
ゴッホ兄弟の話といえば、3月に観た「さよならソルシエ」が思い出されます。あちらもミュージカルだったし、マッピングをうまく使ってたなぁ。
などと考えながら観に行きましたよん。
紀伊国屋ホールには行ったことがあれど、サザンシアターは今回初めて。すぐそばのタカシマヤタイムズスクエアには何度も行ってるのに、こんなところにあったのか、って思った(笑)
こじんまりした劇場で、なかなか私好み
さてストーリーですが、ざっくり言うと画家ヴィンセントと、その弟の画商テオの、生涯のお話。
さまざまな問題を抱えながら画家になろうと決意、でもあまりにもセンシティブなヴィンセントは人々に受け入れられず、独特な表現方法の絵も画壇に認められない。
弟のテオだけが、兄の才能を信じて生活や創作活動の援助をし続ける。
ふたりは遠方に暮らしていても書簡のやりとりで繋がっていたが、ヴィンセントは銃で自殺。認知症を患ったテオもまた、後を追うように亡くなった。
・・・
ざっくりすぎる??(汗
ゴッホの生涯はあまりにも劇的だし有名だけど、それをずっと支えていた弟さんがいたことはあまり知られていない。っていうか、知れば知るほど、この兄弟ヘンなのよね(失礼
極端すぎる性格は、兄弟だから似ていたとも思えるけど、強迫観念でもあったのかと思うほど兄に尽くす弟というのも、なかなか不可解。
お芝居としての脚色部分もあるでしょうけどね。実際、往復書簡のやりとりからも、弟テオの精神的・物質的な献身はビシビシと伝わってくるものだそうで、人に尽くす感覚が薄い私としては
「なんでそこまで」
って気持ちになってしまう(゚∀゚)
狂気のふちとふちに立っている2人が引っ張り合って、やっとバランスを保ち落ちないでいる、というイメージ。ゴッホ兄弟にはそんな印象を受けましたね。
狂気といっても、爆発するような強さのあるものではなくて、気弱にじわじわとにじんでくるようなもの。それがね~、さとっさんが演じると妙に色っぽい。
それもそっと寄り添いたくなる色気ではなくて、手を伸ばしてはいけないと感じるような。
うーん、うまく言えないな・・・
相手に危険を感じるのではなく、自分は取りこまれて戻ってこれなくなるぞ、と感じるような、ね。伝わるのかこれ。
プロジェクトマッピングをふんだんに使った舞台って増えてますね。韓国ミュージカルに多い印象があります。
2人舞台でマッピングを使う、と聞くと、予算の関係でセットを簡略化するためかな、などと下世話なことも考えたんだけど、そんなことなかった(汗
ゴッホの描いた絵の数々がマッピングで浮かび上がり、その中に自分もいる、と感じられるような造りになっていて、すごく良かった。冒頭から、ゴッホの絵の中を自分が歩いていくような感じだったし。
さとしさん演じるヴィンセントが酩酊するシーンの表現は大好きだったなぁ。マッピングで覆われた舞台の上で、役者が動く意味がちゃんとある。一緒に酔いそうになるけどね(笑)
こういう使い方が出来るとは!と感激もしたし、小物類を決められた場所に寸分たがわず配置しなくてはならないのよね。椅子の上に置かれたキャンバスに、絵が映し出されたりするから。
だから、演じながらその配置もこなさなきゃならない役者さんは大変だなとも思った。
岸さんは、どっしりとしていながらも やっぱりどこか危うくて、ヴィンセントという手のかかる兄がいなかったら、自分を保てなかったのかも知れない。そんな風に感じさせるテオでした。
そうなのよ、ふたりともすごく危ういのよね。そして曲がずーっとクライマックス!みたいな感じで、観てる方も少々疲れる(笑)でも、休憩なしノンストップで良かったです。休憩したら、浸りきれなかったと思う。
ヴィンセントが心の奥に抱えているものが、何かに与えたいのに対象が定まらない愛なのか、愛を求めるゆえの闇なのか、もっと単純に脳機能の問題なのか。
あの制御不能な激情を、どう表現するかで全く違う作品になると感じたので、ぜひ色んな役者で観たいと思いましたよん。
たったふたりの芝居なのに、どちらにも感情移入できないという珍しい演目ではありましたが、見ごたえあったし聴きごたえもありました。
再演があれば、また観たいと思います。
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