2015年5月31日まで Bunkamuraシアターコクーンで上演されていた、「地獄のオルフェウス」を観てきました。
原作が「欲望という名の電車」や「熱いトタン屋根の猫」を書いたテネシーウイリアムズ。
主演が大竹しのぶさんと三浦春馬くん。これだけでもう、私の好きそうな匂い(笑)
演出のフィリップ・ブリーン氏はこれが日本での初めての演出作品なんだそうですね。
私が観に行ったのは千秋楽間近の5月27日。平日の昼公演でしたが、立ち見が出るほどの盛況ぶりでしたよ。
いいかげんBunkamuraにも 迷わずたどり着けるようになりました(やっと)
ポスターはいたってシンプル
お話の内容がまったく想像つかないようなビジュアルで、先入観なしに観てくれってことなのかな~なんて思ってました。
確かに「地獄のオルフェウス」ってタイトルから想像できることはあまりないわね。
オルフェウスはギリシャ神話に出てくるオルフェウスでいいのかな。などと考えながら観に行き、観終わってからその含みにちょっとゾッとしました。
さてここからはネタバレします。東京公演は終了しましたが、大阪の公演はまだですね。あらすじを知りたくないという方はご注意くださいね~。
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舞台は雑然とした雑貨店内。上手は店の入り口、下手には住居部分へと昇る階段と、階段下のカーテン付きのスペースが見える。
ちょっとドレスアップした風の女性がふたり、おしゃべりをしながらテーブルをセットし、晩餐の用意をしているようだ。
女性たちはビューラ(峯村リエさん)とドリー(猫背椿さん)。この町で暮らす典型的な主婦で、この雑貨店を切り盛りしているレイディ(大竹しのぶさん)について盛んに噂をしていた。
レイディはワインガーデンを経営するイタリア移民の娘だった。父は黒人にワインを売ったことを人種差別主義者に咎められ、リンチで殺された。
その後、わずかな金で買われるようにして、このトーランス雑貨店の主人であるジェイブ(山本龍二さん)と結婚し、愛のない暮らしをしている。
ジェイブは医者も見放すほどの重病を患い、遠い街で入院していたが、今日帰ってくるのだという。ジェイブを心配するようなそぶりで従姉妹たち(吉田久美さん・深谷美歩さん)も出入りしているが、実はその興味は「ジェイブが死んだら資産はどうなるのか」であるらしい。
味方のいない異郷で暮らすレイディだが、雑貨店をお菓子屋として新しくオープンする準備を着々と進めていた。
ジェイブとレイディ夫妻の店であるトーランス雑貨店には、さまざまな人々が出入りしていた。上流階級の出身でありながら、奇行がもとで人々から疎まれているキャロル(水川あさみさん)も、この店にだけは出入りして買い物をしていた。
扇情的な服装と奇怪なメイクで歩き回るキャロルは、レイディのかつての恋人で、他の女性と結婚したディヴィッドの妹だった。
ジェイブは病院から帰ってきたが、人々への挨拶もそこそこに部屋に引きこもる。夫が帰ってきたことで また眠れない日々を送ることになるレイディの苛立ちも、場の空気を悪くしていた。
そんな時、保安官の妻で絵描きであるヴィー(三田和代さん)が、旅の青年を連れてくる。ヴァルというその青年(三浦春馬さん)は蛇革のジャケットを着てギターを持った、美貌の青年だった。
この町にはいないミステリアスな美青年に女たちは色めき立つが、レイディは興味がない。仕事を探しているというヴァルを、雑貨店とお菓子屋の店員として雇ってはどうかというヴィーの提案にも、そっけなく返事をしただけだった。
その夜、不眠に耐え兼ねたレイディが睡眠薬を処方してくれと医者に電話していると、ギターを取りにヴァルが戻ってくる。物取りに入ったのではないかと疑うレイディに、自分にとってギターがどれだけ大切かを話すヴァル。
30歳になるのを機に、これまでの暮らしから足を洗い、新しい仕事を探していると話すヴァルの野性味と神秘さに惹かれ、レイディは彼を店員として雇うことにした。
やがてその美貌と人あしらいのうまさで、ヴァルは店になくてはならない存在になる。が、同時に、女たちを惹きつけてやまない よそ者のヴァルを、男たちも目障りに思い始めていた。
よその町で会ったことがあり、以前のヴァルと知っていると言うキャロルも、彼を連れ出そうとやっきになるが相手にされない。
しかしキャロルの話には信憑性があった。以前はギターを流し、女性に貢がせて暮らしていたらしいヴァルだが、レイディに話した通り、暮らしを変えようとしているようだ。
そんな時、レイディが「金を貯めたいならモーテルを出て、この店の小部屋に住むといい」と言い出す。夫は重病で階下に降りてこられないし、夜も店に人がいれば安心だというレイディだが、ヴァルは彼女の思惑に気付いていた。
それがどれだけ危険な行為か分からないヴァルではなかったが、結局レイディと関係を持ち、店に寝泊まりするようになる。
やがて復活祭の日が近づいてくる。夫の病状に関わらず、どうしてもその日にお菓子屋をオープンさせるというレイディに、町の人々も付き添いの看護婦も呆れかえるが彼女は素知らぬ顔。
彼女にとって、復活祭の日に 自分の父親がやっていたワインガーデンを復元したお菓子屋をオープンさせることには、重大な意味があったのだ。
夫は父親を殺した人種差別主義者のひとりだった。「おまえの父親を焼き殺してやった」というジェイブ。自分の父親を「イタ公」と侮蔑して憚らない町の人々。そんな中で生きてくるしかなかった、自分自身の運命への復讐のために。
そしてやってきた復活祭の日。イブニングドレスを身に着け、美しく髪をセットしたレイディが帰ってくると、ヴァルは出ていくという。彼を疎ましく思う町の男たちに脅されたのだ。混乱し拒絶するレイディ。ヴァルのギターを盾に店を終えるまで待てと懇願する。
その騒ぎの中、重病の夫に冷淡なレイディを冷やかに見ていた看護婦が帰っていく。彼女は店を出るとき、レイディが妊娠していることは分かっている、と言い放っていった。
レイディはヴァルの子を身ごもっていた。かつての恋人との間に出来た子どもを堕胎したレイディにとって、それはとても重大な出来事だった。
こんな枯れ木に命が宿った、自分は勝った!モルヒネで眠っているはずの夫に向かって、レイディは快哉を叫んだ。
しかし身動きでないはずの夫は、自力で部屋を出てくる。そして驚愕しているレイディを銃で撃ち、家の外へ出て行った。
「店員が強盗に入り、俺の女房を殺した」
と叫びながら。
自分が内装したワインガーデンそっくりな店の中で、レイディは絶命する。ヴァルは逃げるが、町の男たちに捕らえられリンチを受ける。
やがて静かになった舞台にはキャロルが。ヴァルのジャケットを手に、「革だけ残して」とつぶやき幕が閉じる。
重い。重すぎる(涙)
今あらすじ打ち込んでてもツラいわ~。でもこういう舞台好きなのよね・・・なんでなんだろ。
一見闇に落ちてるキャロルが、一番正直で人間らしいのが面白い。彼女の口からは何度も「野生」というフレーズが出てくるんだけど、この場合の野生はイコール思うままに生きる、ってことなんだろな。
人間らしく生きる、っていうと野生とは遠い文化的な印象があるけど、「本当にそう?」って問いかけられてるような気がした。
キャロルが言う「ネオンに毒されたこの町にも、昔はあった」ものが野生だとしたら、それは理屈でなく寄りそう温かさだったり、惹かれあう魂だったりするのかも。
それにしてもこの戯曲、「地獄のオルフェウス」とはよく名付けたもんだと感心したわ。予想通りギリシャ神話のオルフェウスとかかってたわけですが、まさに悲劇というかね、胸が塞がれたような気持ちになりますわ。
ギリシャ神話のオルフェウスは歌う詩人。人々だけでなく動物や自然(!)さえも夢中にさせる竪琴の名手。劇中ヴァルが持ってるギターが、この竪琴の代わりなんでしょうね。
オルフェウスは美しいエウリュディケと結婚するんだけど、エウリュディケは結婚式の前の日に蛇に噛まれて死んじゃう。オルフェウスは黄泉の国の覇者ハデスの元へ行って、妻を連れて帰りたいと懇願する。
ハデスはオルフェウスの歌声と竪琴に感心して、地上に帰り着くまで絶対に振り向かない、と約束させて妻を返してくれる。
でももうちょっとで地上、という時に、オルフェウスは心配になって振り向いてしまう。その途端、エウリュディケは黄泉の国へ吸い込まれてしまった。それ以来オルフェウスは女を遠ざて暮らす。
どんなに誘惑しても見向きもしないオルフェウスを逆恨みした、トラキアの乙女たちの訴えでオルフェウスは捕えられ、手足を引き裂かれて川へ流されてしまう。幽霊になったオルフェウスは黄泉の国へ行き、そこでやっとまた、エウリュディケに会える。
というね・・・
どっちを向いても救いがないわ(汗)
大丈夫かな?私こんな芝居ばっかり好んで観てたらメンヘラだと思われませんか??
心身ともに健康なのよ!信じて!!(必死)
↑↑↑↑↑ ここまで ↑↑↑↑↑
しのぶさんも春馬くんも期待通りに良かったんだけど、私にとっては水川あさみちゃんが 出色の出来で嬉しくなっちゃった。
精神的にイっちゃってるエキセントリックな役は、ともするとステレオタイプの変な人になりがちだと思うんだけど、キャロルには名家の出身である品と、純粋さを感じられた。
レイディがしのぶさんなのも本当に良かった・・・あのね、語弊を恐れず言えば、しのぶさんが肉感的な美魔女じゃないのが、作品世界にとって とても良かったのよ!
女性を渡り歩きながらも、「お互いを知ろうとして体を合わせると、どんどん相手が遠くなる」と言うヴァルに、歳をとった自分が肉体的にも惹かれる恐ろしさ、みたいなのがすっごく伝わってきて、50代の女としてはかなり身につまされましたわ。
テネシー・ウイリアムズの作品は本当に酷いめに遭う女性が出てくることが多くてですね、彼自身が同性愛者だったということもあり、ひょっとして女を憎んでるんじゃなかろうかと思った時期もあったんですけど 決してそうではなさそう。
差別や偏見、暴力的な抑圧は、作者が生まれ育った当時のアメリカ南部の精神性を表したものだったのかな。女性や同性愛者、移民、奴隷などが迫害される様を見て育ってきたことが、こういう作品を作る原動力になってるんでしょうね。
人を、その人の本質や内面と関係なく生まれで差別したり、踏みつけにしたりするメンタリティは 目にしたことがないわけじゃないけど、私には理解しがたい。
でもそれが当然の社会に生まれ、そんな教育を受けたら当たり前のようにそうするのかな。
まさか自分は違う、と思いたいけど、今の自分の精神性も、現代日本で教育されたからこそなんだもんね。
そういえば、戯曲の中では「昔あった、差別と偏見に満ちた町での出来事」だけど、21世紀のこの世の中では「人種」という大きなくくりでなく、もっと細分化されたヒエラルキーによる差別もあるね。
しかもこの戯曲で描かれてるみたいに ハッキリクッキリ侮蔑するわけではなく、見えないところ、聞こえないところで 悪意が飛び回っていたり。
つくづく恐ろしいと思う。
レイディにとって最大の憧れは、愛しいと思える人と暮らすことだったんだろうな。ヴァルが若くて美しいから欲しかったわけではなく、その野性的な魂に惹かれたんだろうけど、このコミュニティにおいてはそれは異質で赦されることじゃなかった。
異物は徹底的に取り除く、という残酷さも、その土地の人々にとっては当然のことで、なんら躊躇や罪悪を感じるべきものじゃない。
遠い世界の話のように思えても、実は自分の身近にも潜んでる精神性のような気がして、ぞくぞくしながら劇場を後にしたのでした。
コクーンの演目はいつもだけど、パンフレットが読みごたえあってステキ
テネシー・ウイリアムズの背景とか、作品当時のアメリカ南部の状況とか、さまざまな話題が載ってて興味深かったわ~
東京公演は5月で終了しましたが、この後 大阪公演が。2015年6月6日~6月14日まで、森ノ宮ピロティホールで公演です。
どーんと重くのしかかるような後味はあるけど、感じることがとても多くある舞台でした~
コメント
まみろうさんはじめまして。
よくお邪魔させていただいております。
まみろうさんの舞台のお話は自分が観に行ったような気分になってしまうほど、
読み応えがあって毎回楽しみで仕方ありません。
またお話聞かせてくださいね。
次回も楽しみにしております♪
>もふもふさん、いらっしゃいませ。
はじめまして。まぁ、ありがとうございます(感涙)
自分が楽しんだことを 残しておこうと書いて、
楽しんでいただけるなんてとても幸せです。
今後ともよろしくお願いいたします♪
コメントありがとうございます。
はじめまして。
『地獄のオルフェウス』の感想を検索してたどり着きました。
この作品を評論家が評してるのを見たとき「現代にも通じる〜」みたいな事を書いてて、正直ピンと来なかったんですが(少なくとも、差別が高じてリンチってのは今の日本では見られないので)、こちらのブログの「見えないところ、聞こえないところで 悪意が飛び回っている」という言葉で納得が出来ました。
そういえば先日、とあるブログの記事が「その内容が気にくわない人たち」によって炎上してたな…というのを思い出し、確かにこれは人間の普遍の姿なのかもしれないと認識を改めました。
あらすじもすごく分かり易くまとめられていますね。
「どんな話だったの?」という連れからの質問に「主人公が不倫してリンチで殺される話」としか説明出来なかったので(笑)、今度こちらを見せてあげようと思います。
>紫さん、はじめまして。
ようこそいらっしゃいませ。
観てきた舞台のあらすじを文章にするのは難しいですが、自分にとって意味のあることなので続けています。
分かりやすいと言ってくださってありがとうございます。
嬉しいです♪
ネットの顔の見えないむき出しの悪意も怖いし、一見仲良くしてるママ友さん同士の水面下バトルなども怖いですね(笑)
どんなに時代が変わっても、ヒトの本質ってそうそう変わんないもんなんでしょうかね。
お連れ様にも読んでいただけたら嬉しいです。
コメントありがとうございます。