早熟で、子供の頃読んでいる本を見た大人には必ず眉をひそめられていたわたくしが、人生で一番繰り返し読んでいる本、それが三原順氏の
「はみだしっ子」シリーズ。
「少女漫画」とカテゴライズしていいのかとまどうほどの台詞の量、そしてその重さ。
絵は昔ながらの、顔の4分の1がキラキラのお目々、そして頭でっかち。絵を見ただけで読むのを躊躇する人もいるでしょう。
しかしその内容は、漫画ではなくもはや「文学」の域といえるでしょう。
両親の離婚をきっかけに、年齢がひとけたのうちから大人の裏腹さやズルさや弱さをイヤというほど見ることになったわたくしが、自分自身を肯定できるのは読書の世界の中だけでした。
手にすることのできる本は全て読み、内容がくだらなかろうが難解だろうが、そこに自分の現実とは違う世界が展開されていさえすれば、読みふけっていました。
ちょうど「花とゆめ」が創刊された頃、自分のおこづかいで好きな漫画の本を買えるようになっていたわたくしは、当時「花とゆめ」に連載されていた「ガラスの仮面」「スケバン刑事」とともに、この「はみだしっ子」に夢中に。
「ガラスの仮面」も「スケバン刑事」も、今でも好きですが、この「はみだしっ子」は別格です。
なんというか、漫画として好きなのではなくて、自分の精神世界が作られていく中で、かなりの影響を受けている「本」なのです。
今読んでも難解だと感じるこの内容、12歳やそこらでよく読んだなぁ、とも思います。
作品の根底にある、「人が信頼し合ったり愛し合ったりしていくのに、絶対の条件があるとしたら、それは何か」という問いが、自分や自分をとりまく人々との関係に照らして、
「ああ自分には愛されるべき条件など何もない。でも母や弟妹はわたしを愛してくれている」
ということに気づかせてくれたものです。
三原氏の作品の中には、「血縁」を拒否しながらもその関係性から逃れられない人々がたくさん出てきます。
「はみだしっ子」はその関係性のなかでも、特に「子供と親」の関係について、執拗なほどの苦悩が描かれています。
重くて暗い、けれども読みすすめずにいられないこの作品。
一度は読んでみることをお勧めします。
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