平幹二朗さんの“一世一代”、舞台「王女メディア」を観てきました。
あまりにも衝撃を受けると、人って言葉が出ないものね・・・
観た直後、バカみたいに
「すげー、すげーかった、すげーもの観た」
と繰り返してて、自分でもついに壊れたかと思いましたわ(大汗)
原作「メディア」はギリシャ悲劇であり、作者は古代ギリシャの悲劇詩人エウリピデス。ギリシャ神話に出てくる、コルキスの王女メディアの運命を描いてます。
ギリシャ悲劇の方のメディアの物語は、だいたいこんな感じ。舞台版とあらすじがカブるので、別枠にしておきますね~
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コルキスという国の王には、メディアという娘がいた。彼女は伯母キルケから魔法を習い、魔術を得意としていた。
一方、他国の王子イアソンは、王位継承者でありながら、叔父ぺリアスの画策によって国外追放同然の仕打ちを受ける。コルキスの国宝である金色の羊の毛皮を奪い取ってくるよう命じられたのだ。
他国の国宝を盗むのは当然罪であり容易ではない。加えて、コルキスは黒海の東の果てにある国で、たどり着くことは出来ないと思われた。ぺリアスがイアソンを亡き者にしようとしているのは明白だった。
イアソンは勇敢にもコルキスにたどり着くが、コルキスの国王に捕えられてしまう。
この様子を見ていた女神アフロディテは、イアソンを助けようと考え、キューピッドに命じてコルキス国王の娘メディアに恋の矢を打ち込ませる。
たちまちイアソンへの恋の虜となったメディアは、得意の魔術を駆使してイアソンを救う。さらに父王をも裏切って、国宝である金の羊の毛皮も与えた。
イアソンと共に船に乗り込み、逃げようとするメディア。激怒した父王が追いつきそうになると、メディアは連れてきた幼い弟を殺し、遺体を切り刻んで海に捨てた。
父王が弟の死体を海から引き上げるのに夢中になっている間に、メディアはイアソンと共に逃げおおせた。
イアソンを追い払い、自らが国王の座についていた叔父ぺリアスは、イアソンの帰還に驚くが王位を譲ろうとはしない。
愛しいイアソンを王位につけるべく、メディアは「お父様を若返らせてあげる」とぺリアスの娘たちを騙し、娘たちの手でぺリアスを殺させてしまう。
イアソンはメディアと暮らし、子どもも2人もうけた。しかし彼女のあまりの激しさに、実は恐怖を感じていた。コリントの王に気に入られたのを幸い、メディアと別れ、コリントの王女と再婚しようと考える。
この裏切りに怒り苦しんだメディアは、魔術を使いコリントの王女に呪いの花嫁衣裳を贈る。花嫁衣装はメディアの子どもたちが届けた。
衣装に袖を通した花嫁は、たちまち炎に包まれる。そして助けようと駆け寄った父王もろとも、焼け死んでしまう。
役目を果たし帰ってきた子どもたちをわが手にかけて殺し、魔術で呼び寄せた龍に乗り、メディアはどこへともなく去って行った。
こ わ い よ(震)
悲劇っつーかホラーだよねこれ( ꒪⌓꒪)
で、平さんの「王女メディア」。この悲劇をベースに、メディア(平幹二朗さん)がイアソン(山口馬木也さん)の裏切りを知り、怒りに震え暮らしているところからの お話になってました。
文字通りすべてを投げ打って尽くした男に裏切られた女の苦しみと、そのままで済ませるものかという激しい怒りが、舞台から立ち上ってくるようで息が詰まりそうだった。
子どもを殺してしまうのは、なぜよ?!と思わないでもないんだけど、彼女の中では子どもの誇りを守り、憎く愛しい男を究極に苦しめるためには、そうする他に道はなかったのかも。
もちろん最悪な気分になるけど、気持ちが全く分からなくはない。
怖いね女は(笑)
80代の男性が、女性を演じるという点に興味を持たない人は おそらくいないと思うんだけど、私はこのお芝居を観てしみじみと
「女性を女性たらしめているものは、いったい何なのかしら」
と考え始めてしまった。
歌舞伎の女形みたいに、姿形を女性に近づけてるわけでもない。衣装は古代をイメージさせるものなので、中性的というか、男女の区別があまりないようなものだし。
平さんは女声も作らず、自分の声で台詞を言ってらして、まぁ言ってしまえば男そのものなわけですよ。
でも、それでもメディアは女だった。
まさに役者の表現、力量だけで表された「おんな」だったの。
こんなことが出来るのか・・・!!(驚愕)
悋気の炎に身を焼き、誇りを傷つけられた怒りに震え、それでもイアソンがメディアをなだめようと抱きしめると、心身を溶かすような声をもらす。
恋に狂った女そのもので、中年期も終盤にさしかかった私としては、心情が分かるだけに感じる怖気もひとしお。
役者って凄い。すさまじ過ぎる。
もちろん、どんな役者でも出来るわけではないでしょうね。
平さんは「王女メディア」を40代半ばから演じ続けていらっしゃるそうで、このギリシャ悲劇を日本人として本国ギリシャでも演じ、絶賛されたのだとか。
アテネでの公演では、30分近くに及ぶカーテンコールに包まれたそうで、いや本当にすごいものを観たとしみじみ思いました。
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私の場合、ギリシャ悲劇と聞いて、最初に思い浮かぶのは耳なじみのない地名や、ややこしい人名なのね。メディアの話も前からなんとなく知ってはいたけど、登場人物の名前も全部は覚えてないし、国の名前も分からない。
お芝居を観に行って、これは国の名前だっけ人名だっけ?と考えてるうちに 話が終わっちゃったらどうしよう、なんて小さすぎる心配をしてましたが、そんな心配は全く無用でしたね~。
と、いうのも劇中では一切、人名・国名が出てこないの。
メディアは「この家の奥さま」、イアソンは「ご主人さま」。国名も「地の果ての国」「隣国」「この国」といった具合で、すべてが固有名詞でなく普通名詞に置き換えられてた。
それで、ややこしい国名や人名に戸惑うことなく、物語に没頭できたというわけです。
もうひとつ、私にとって嬉しかったのは、セリフがすべて詩的に美しかったこと。いわゆる普通の「話し言葉」でなく、台詞然としたセリフというか・・・
歌舞伎や時代劇で使われるような、古めかしく美しい言葉だったのが、ものすごく良かった。
台詞のあまりの美しさに、販売されてた台本(サイン入り!)も買ってしまった
パンフレットも記事が多くて充実でしたよん。こちらは中にサインが!
メディアに同情する(でも実際には誰も具体的な手助けはしないんだけど)この地の夫人たちも、すべて男性が演じてるのね。
男性なんだけど美しい言葉と舞うような動きで、まっったく違和感ない。どころか、まさに演劇的で美しい。
演劇って当然だけど100%作りものなわけで、言っちゃえば全部うそ。
でもだからこそ、男が「おんな」を、「女の激情」を表現することも可能なんだ・・・としみじみ実感した舞台でした。
何度もいうけど平さんは80代。カーテンコールの最後は高く上げた両手を振って、おちゃめに退場されるお姿は本当にお元気そうでしたけど、実際この芝居を観る機会は、そう何度もめぐってこないだろうと思う。
だからね、もし演劇が大好きで、お近くでこの公演があるようなら、絶対に行ってほしい!
残す公演は東北から北海道、水戸のみですが、私もどうにかしてもう一度 観たいと思ってるの。今年初めての観劇がこの作品で良かった。幸せでした。
必見ってこういう仕事を指して言うんだな、と思わせてくれた舞台でした。
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