ひと月以上も前の話になっちゃいましたけど、佐藤オリエさんと満島ひかりちゃんの2人芝居「秋のソナタ」を観てきました。
東京芸術劇場シアターイーストという、300席に満たない小さな劇場で、手の届きそうな目の前で繰り広げられる会話劇に圧倒されてきましたよん。
おふたりとも本当に素晴らしくて、見終わった後もしばらく、胸が痛いくらいでしたよぅ。
佐藤オリエさんは今年、70歳になられたということですが、信じられないくらい本当に魅力的でした。
自分の理想、こうありたいという願望、望まないものは存在自体を認めない、愛の与え方が分からない母親を、きっちりと美しく演じておられました。
甘えるばかりで見苦しいはずなのに、どこか憎み切れない魅力的な女性でもある、そんな母親像にピッタリでしたね。
満島ひかりちゃんは、折れそうに儚げなのに強靭さを感じる娘役。自分勝手で支配欲の強い母親を求め、憎み、なお求める複雑な気持ちを、長い長い台詞と絶妙な表情で表現してました。
「秋のソナタ」はスウェーデンの映画監督、イングマール・ベルイマンが撮った1978年公開の映画だそうです。主演はイングリッド・バーグマンですって。
私は映画の秋のソナタは観ていないんですが、ベルイマンの映画は「野いちご」と「処女の泉」は観ましたね。野いちごの方は、20代と30代後半に観てて、かなり印象が違ってビックリしたのを覚えてます。
そういえば、ベルイマンじゃないけど「ベニスに死す」も、10代で見た時と30代で見たときじゃ全然違う話に思えたっけなぁ。
さて、舞台の「秋のソナタ」。もう、公演は終了したのでネタバレは構わないと思うんですが、もしネタバレ勘弁という方がおられましたら、この後はお読みにならないでくださいまし。
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冒頭、満島ひかりちゃん演じるエヴァが、暗闇の中から部屋へ入ってくるところから始まります。
何のセリフもなく、靴下をはいただけの足で床をなぞり、部屋中を眺め、燭台を撫でてゆっくりと歩く。その動作が結構、長い。
これは何かの暗示なんだろうか、と思って観ていましたが、物語の終盤になって
「あれは、ずっと胸の奥にしまってきた母親へのざらついた感情を、取りだし、眺め、撫でまわしていたのか・・・」
と感じました。
舞台のセットは大きな布がかかったテーブルがひとつ。椅子がいくつかと、バッグになったり岩になったりする黒い箱がひとつ。あとは燭台や鏡が乗ったサイドテーブルがひとつだけ。
舞台の奥には窓枠がありました。
テーブルは場面によってベッドになったりピアノになったり。観る側の想像力にゆだねる部分が多く、役者の技量が問われるであろう、シンプルなセットでした。
牧師夫人であるエヴァは、田舎の牧師館に夫とふたりで住んでいる。父親はずっと前に亡くした様子。
母親のシャルロッテとは7年間会っていないが、母親の恋人が急に亡くなったのをきっかけに、自分の家に遊びに来るように誘い、誘いを受けた母親がやってくるのを待っている。
黒づくめの牧師服を着た地味なエヴァと違い、華やかで女らしい装いの母親がやってくる。陽気で活動的な様子の母親は、恋人を亡くした悲しみを話していた時こそ泣いていたが、もう済んでしまったことと切り替えが出来ているようだ。
久しぶりの再会を喜ぶ母親に、エヴァは「実はレナがここにいる」と打ち明ける。陽気な様子から一転する母親。レナはエヴァ同様シャルロッテの娘だが、障害があり、施設に入っていた。
施設から出てこの場にいると知ったシャルロッテは怒るが、レナに会い精一杯優しい母親のふりをする。
シャルロッテは世界的に活躍しているピアニストで、経済力もあり魅力的な女性だが、自分に都合の悪い事、見たくない事は認めない性質。障害のある娘の事も、ずっと無かったことにして暮らしてきた。
突然レナに会わされたことで、シャルロッテは動揺し元々の我の強さが顔を出す。
エヴァは思春期、才能にあふれ華やかな母親にあこがれ、その愛を得ようと必死に生きてきた。しかしやがて母親の期待に応えられなかった自分を憎み、自分を縛り付け支配しながら障害を持つ妹を無視する母親を憎むようになっていた。
牧師である夫と結婚してからは、つかの間幸せで明るい日々を送っていたが、幼い息子が自宅の井戸で溺れ死んで以来、浮遊する息子の魂を感じながら生きている。
7年ぶりにあった母と娘は、シャルロットの悪夢をきっかけに、その胸の内をさらけ出しぶつけ合う。
母と娘、それぞれの心に深く刻まれた、「親に関心をもたれず、認められず、愛されなかった」という思い。
エヴァは欲しくてたまらないものが次々と指の間からすり抜けていく娘。シャルロッテは欲しいものだけをその手につかみ、要らないものは捨てていく母親。期待通りでない夫を捨て、娘を捨て、自らを照らす光だけを求めて生きている。
互いへの不信、憎しみ、理解できない苛立ちが深く二人を襲い、母娘はこれ以上ないほど激しく言い合う。母親と娘は、これほど拒絶しあえるものなのか?後戻りできないほどお互いをむき出しにした、この夜の行方はどうなるのか?
「どちらかが一方を殺してしまうんじゃないかしら」
と思ってしまうほど、烈しい言い合い。会話の中で明らかにされていく、母と娘の乖離の原因。そのあまりの暗さ・深さに、気が遠くなりそうになります。
結局、シャルロッテはエヴァの家から逃げ出し、次の仕事に。エヴァは温厚な夫と、介護の必要な妹と共に、これまでと同じ日々を過ごしていく。エヴァは母親に、
「分かり合えることをあきらめない」
と手紙を書くが、シャルロッテにとっては、家庭や家族は帰る場所ではなく、立ち寄る場所なのだ。
永遠に分かり合えないかもしれない母と娘は、それぞれの生活の中に戻っていく。
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今、書いてて思ったけど、舞台の感想とかってすぐその日に書かないとダメだね!
特に難しいテーマの芝居の場合、その難しさと胸に響いた点を表すのに、すっごい苦労するわ~次からすぐ書こう。胸が熱いうちにね。うむ。
満島ひかりちゃん演じるエヴァは、何歳くらいの設定なのか分かりませんでした。
起きた出来事もろもろから考えると、そう若くないはず、と思えるんだけどね・・・思春期の女の子のように幼くも、何もかも知っている大人の女性にも見えるひかりちゃんは、この役にピッタリ合っている、と感じました。
あのか細い体の、どこにあんなエネルギーがあるのかと思う。叫ぶシーンも、ただ大声で叫ぶのではなく、全身から波動のように言葉が放たれる。
その声が声帯から出てるんじゃなくて、彼女の体を構築してるすべてが叫んでいるかのようで、聞いてるこっちも胸が苦しくなってくる。
そしてねー台詞がとにかく長いのよ!しかも会話として成り立ってない部分がすごく多くて、お互いがお互いの感情のままに言葉を吐き出してるみたい。お互いの台詞を聞いてれば、繋がりで思い出しそう、なんてことがなさそうな言葉の応酬なの。
おふたりともよく、この長い長い台詞をものになさったわね・・・!
親子であっても別の人間だから、そりが合わないってことはある。支配的な母親と、期待に応えようとしてかなわない娘。これが息子の場合だと、女が出来て離れて行っておしまい、な気がするんだけど・・・
母と娘って、同性だからより愛憎が深い、ってとこがあるよね。
女性の特性として、共感し合うことを求めるってのがあるけど、それが不可能だと知った時の相手に対する嫌悪感ってない。
いっそ他人なら、ここまで憎くも哀しくもないだろうに。
エヴァとシャルロッテはお互いを否定して否定して、それでも最後には愛を注ぐべき相手だ、という思いから逃れられないでいる。心から愛されていることを信じられずにいる母娘の姿があぶりだされて、見ている側も、一瞬も気が抜けないのです。
まるで呪縛のように求めあいながらも、嫌悪しあう母と娘が痛々しく、また心のどこかで
「なんか分かる・・・」
と感じるところもあってチクリ。
この感覚、男性には分かりにいものかも。女同士ってどんな関係性であれ、微妙な感覚があるよ。すごく仲が良くても、胸の奥底には少しだけ嫉妬とかあったりする。でも自分のその微妙な気持ちを、なかなか受け入れられないんだよね。
舞台上ではなんの事件も起こらないけど、スペクタクルともいうべき展開に、引き込まれしばらく脳がしびれたようになりました。
役者の技量が問われる作品だったと思いますねー本当に素晴らしい舞台でした。
満島ひかりちゃんの演技はもっともっと観たいなー、今度はコメディやってくれないかな?「川の底からこんにちは」みたいなの、舞台で観たい!
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