若手の人気コメディアンが体験した、壮絶な貧乏生活。
ただそれだけ聞くと、「芸人てのは貧乏生活するのが当たり前なんじゃないの」と思ってしまいますが、彼のそれはひと味違います。
なんせ「芸人生活を始めた大人になってからの貧乏生活」ではなく、中学生だったある日、父親の「解散!」宣言とともに家を失くしたというのですから。
麒麟の田村氏は、今ほど有名になる前からこの「ホームレスだったこと」をネタにしてきたそうですが、相方の川島氏によると「話が壮絶すぎて誰も笑えない」シロモノだったそう。
この本を読むと、「聞く人がヒく」という話の信憑性はぐっと高まります。
言ってしまえばお父様の無計画さが原因でそうなってしまったわけですが、そのお父様にTV番組の企画で再会され、どんな恨み言をいうのかと思えば
「会えてよかった。これからうんと親孝行したい」
と語ったという話には、驚きました。
それで「なぜ親を愛しく思うのか」について考えてしまったわたくし。
世の中の全ての親子が愛し合っているわけでもないのは分かっていますが、少なくともわたくしやわたくしの夫は、自分の「親」には無条件に愛を感じています。
わたくしたち夫婦は、似たような境遇で育っています。
平たくいえば「一発当てよう」として失敗して家庭から逃げ出した父親と、そのとばっちりを受けて子供を3人抱え路頭に迷った経験のある母親の元で育った、ということです。
今では兄弟も皆大人になりましたが、幼い頃は片親だということで色々と不自由だったり情けなかったりという思いもしました。
自分たちが若かったときは、父親にはなんの感情もありませんでしたが、ここへきて思うのは
「それでもあの人たちがいたから自分が生まれてきたんだよね」ということです。
ま、積極的に探し出して何かしてあげようとは思いませんが、もし頼りにしてこられたら、何かしらは手助けすることになるだろうなと思っているというわけです。
こう考えるようになった根底には、母親が父親を憎んでいるようなことを言わなかったということがあるだろうと思います。
憎くなかったわけじゃないけど、
「私にはただの男だけど、この子たちには血を分けた父親。私がそれを罵っても、いいことはない」
と考えていたという話を聞いたとき、わたくしは母に感謝しました。
40年も生きていると、自分が人に好かれるタイプかそうでないのかはうすうす気づくものです。
自分が人様に愛してもらえる玉かどうかは、自分が一番良く知っています。
だいたい人間、そうそう「愛されて当然な条件」なんて持ち合わせていないんですよ。
息が止まりそうなほどキレイな人だって、その美貌が「鼻につく」とか言われて嫌われたりするし。
優しいと「誰にでも優しい」とか理不尽なこと言われたりするし。
でも、そんな「愛されるべき項目を何一つもっていない自分」を無条件に愛してくれるのが親だし家族です。
だから、何にも代えがたく愛しいのです。
などということをしみじみと考えてしまったのでした。というわけで、わたくしの思考を喚起させてくれた本でした。
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